【ターンテーブル動画】フェルディナント・ライトナー『ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲』78rpm(1948)

7月20日掲載の記事で、指揮者フリッツ・レーマンとバッハの関係について書かせていいただいた。その際、レーマンと共に1950年代、ドイツ・グラモフォン(DG)の「カタログ・レパートリー拡充班」として、レーマンとともに獅子奮迅の活躍をしたフェルディナント・ライトナー(1912-1996)についても簡単に触れさせていただいた。

 

ARCHIV PRODUKTION AVM 2042

今回はそんなライトナーが1948年7月にDGの古楽部門レーベル、アルヒーフ(ARCHIV)に録音したバッハの『ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲 ニ短調 BWV1060』(『2台のチェンバロの協奏曲 ハ短調 BWV1060』として19世紀に親しまれていた曲が、実はライプツィヒ時代にバッハや彼の息子たちがチャンバロ演奏で披露するために、ケーテン時代の旧作を彼自身が編曲したものであり、原曲は別のソロ楽器のために作曲された、という研究結果を基に「復元」された作品のひとつ)の78rpm【ターンテーブル動画】をご紹介しつつ、レーマン同様、当時のライトナーとバッハとの関係、そしてやはりレーマンと同じく、その後ARCHIVの、そして20世紀後半のバッハ演奏の中心に存在したカール・リヒターとの関係性にも触れていければと思う。

その前にライトナーの簡単なプロフィールを。
1912年ベルリン生まれ。ベルリン音楽大学卒業後、ゲオルク・クーレンカンプやハンス・ホッターなどのピアノ伴奏者をしていたが、1935年にイギリスのグラインドボーン音楽祭でフリッツ・ブッシュのアシスタントを務め、指揮者としての研鑽を積む。
1943年にノレンドルフ・プラッツ劇場の指揮者となり、指揮者としてのキャリアを本格的にスタート。1947年にはシュトゥットガルト州立歌劇場のオペラ監督になり、1950年からは音楽監督に昇格した。ちょうどこの頃が、DGの専属として次から次へと様々な作品を録音していた頃である。1956年にはエーリヒ・クライバーの後任としてブレノスアイレスのアトロ・コロンの常任指揮者にも就任している。1969年から1979年まではチューリッヒ歌劇場(アーノンクールがオペラの名演奏を残したあの劇場だ)の音楽監督を務め、1977年から1980年までハーグ・レジデンティ管弦楽団の首席指揮者を歴任した。

日本の音楽ファンにとっては、ベートーヴェン生誕200周年に合わせてレコ―ディング、リリースされたヴィルヘルム・ケンプの「ベートーヴェン・ピアノ協奏曲全集」をベルリン・フィルハーモニーと共に録音したこと、そしてNHK交響楽団の客演指揮者として「第9演奏会」をはじめ、独墺のオーソドックスなレパートリーの名演を残したことにより、記憶に留まっている人だろう。

これは余談だが、ライトナーが生まれた1912年は「指揮者の当たり年」と言われていて、主だった人だけでも、月日順にギュュンター・ヴァント、エーリヒ・ラインスドルフ、(ライトナー)、フェリックス・プロハスカ、シャーンドル・ヴェーグ、セルジュ・チェリビダッケ、イーゴリ・マルケヴィチ、クルト・ザンデルリング 、ゲオルク・ショルティなどがこの世に生を受けている。

 

さて、そんなライトナーの、バッハ声楽曲レコーディング史のエポック・メイキングとも言うべきレコードがある。それは1949年7月25日および28日にレコーディングされた『マニフィカト』BWV243だ。このレコードこそ『マニフィカト』のLP第1号、そしてARCHIVの12インチLP第1号(APM14001)となった録音なのだ。

 

ARCHIV PRODUKTION   APM14001

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーケストラはアンスバッハ・バッハ週間管弦楽団、合唱はルドルフ・ラーミイ率いる合唱団。ソリストはソプラノ:マーサ・シリング(ソプラノ)、ゲトルード・ピッツィンガー(コントラルト) 、ハインツ・マルテン(テノール)、 ゲルハルト・グレーシェル(バス)。

この「アンスバッハ・バッハ週間」とは、1948年から現在まで、バイエルン州の都市アンスバッハ(ニュルンベルクから列車で30分ほど)にて、バッハの命日である7月28日前後に開催されている音楽祭(その前身は前年に、ポマースフェルデンというバンベルクにほど近い町で始めっている)である。ライトナーはこの音楽祭の創設メンバーに名を連ね、この音楽祭の中心的な存在として指揮を行ってきた。
つまりこの『マニフィカト』は、そのスタート年翌年の音楽祭開催中に、アンスバッハから列車で東へ1時間ほど行ったノイエンデッテルザウという町のアウグスターナ大学で録音されたことになる。

 

カール・リヒターが1958年に『マタイ受難曲』を録音するまでの1950年代、ARCHIVのバッハ声楽作品を精力的にレコーディングしてきたフリッツ・レーマン、ベルリン・モテット合唱団、そしてベルリン・フィルハーモニーではなく、ライトナーが『マニフィカト』の録音を担当したのも、このアンスバッハ・バッハ週間があったからこそであろう。

そして、ライトナーの後を引き継ぎ、1955年から芸術監督としてアンスバッハ・バッハ週間の中心に存在したのがカール・リヒターである。
彼のARCHIVにおける初期のカンタータ録音にはミュンヘン・バッハ管弦楽団ではなく、アンスバッハ・バッハ週間管弦楽団がクレジットされているものがある。『イエスよ、汝はわが魂を』BWV78と『心と口と行いと生きざまもて』BWV147の2曲がそれ。いずれも1961年7月22日から24日(おそらくバッハ週間開幕の直前)に、今度はアンスバッハから列車で西に2時間弱ほど行ったハイルスブロン(リヒターほぼ時を同じくして、リヒターとは正反対ともいえるアプローチで数多くのカンタータを録音したフリッツ・ヴェルナー率いるハインリッヒ・シュッツ合唱団の本拠地であり、ヘルムート・リリングも指揮したドイツ有数の室内管弦楽団、ヴュルテンベルク室内管弦楽団の本拠地でもある、バッハ・レコーディング史では重要な町)の福音ルーテル教会で録音されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


なお、この音楽祭での権力を掌握したリヒターは、バッハ週間の開催都市をアンスバッハから自らの本拠地ミュンヘンへ移そうとしたが、他の運営関係者たちから猛烈な反対を受け、1964年をもち芸術監督を辞している。

 

さて、お話を元に戻そう。
『マニフィカト』録音の前年、1948年まさにアンスバッハでバッハ週間か開催されるようになったその年の7月24日から31日にレコーディングされたのが
、今回取り上げる『ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲 ニ短調 』BWV1060だ。

ヴァイオリンはクルト・シュティーラー、オーボエはクルト・カルムス。
クルト・シュティーラー(1910-1981)は、昨日アップした動画に関連して少しだけ触れたシャルル・ミュンシュの後任として、1933年にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターに就任している。ナチス政権が樹立した年であり、その後ウィーンに逃れるブルーノ・ワルターがゲヴァントハウスのカペルマイスターを務めた最後のシーズンだ(後任はヘルマン・アーヴェントロート)。
1941年から1945年、および1952年から1955年の間には、ゲヴァントハウス四重奏団の第1ヴァイオリンも担当していた。またゲヴァントハウスのコンサートマスターであれば、当然、当時のトーマス・カントルだったカール・シュトラウベ( -1940)、ギュンター・ラミン(-1956)の下、バッハの声楽曲も数多く演奏したことだろう。
しかし大戦後、東西ドイツの緊張が高まっていた1956年、一家で西ドイツのシュトゥットガルトへ移住し、同年3月からミュンヘン音楽大学で教職に就き、1975年まで務めた。
従ってこのBWV1060録音時は、まだライプツィヒ在住だったことになる。ドイツが東西に分裂し、ドイツ民主共和国(東ドイツ)が建国されるのは、この録音の翌年1949年10月7日のことである。これ以降、東から西への移動がその困難度を増したことを考えると、1948年にバッハの伝統を身につけたシュティーラーがアンスバッハ・バッハ週間に出演したことは、歴史上の幸いだったということになろう。

オーボエのクルト・カルムス(1920-2012)は長らくバイエルン放送交響楽団の首席オーボエ奏者を務める一方、クルト・レーデル率いるのミュンヘン・プロ・アルテ室内管弦楽団のメンバーでもあり、レーデルとの共演でソロのレコードもいくつか残している。
そう、BWV1060  も1955年4月16日、レーデルとミュンヘン・プロ・アルテ室内管弦楽団、そしてヴァイオリンのライハルト・バルヒェットとともに再録している。

 

 

 

 

 

 

 

 


また少しカール・リヒターの話に戻るが、彼が1955年に組織したミュンヘン・バッハ管弦楽団は、ミュンヘンの三大オーケストラであるバイエルン放送交響楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、バイエルン国立歌劇場管弦楽団の選りすぐりのメンバーで結成されたオーケストラで、常設オーケストラとまでは言えなかった。

例えば、リヒターのカンタータ録音でよく名前を見かけるマンフレート・クレメントは元々はゲヴァントハウス管弦楽団の首席オーボエ奏者。1958年に東ドイツから亡命し、1年後に音楽総監督に就任するヨーゼフ・カイルベルトの後押しもあり、バイエルン国立歌劇場首席オーボエ奏者に就任。1980年には前年まで首席指揮者を務めていたラファエル・クーベリックに乞われ、今回の主役のひとり、そのクルト・カルムスの後任としてバイエルン放送交響楽団の首席に転じた、というドイツでは誰でも知っている名物オーボエ奏者である。カルロス・クライバーの数少ない友人でもあった。
ついでにクレメントの有名なエピソードをひとつ。
ルドルフ・ケンペがリヒャルト・シュトラウスの協奏的作品全集の中の「オーボエ協奏曲」を、1975年にドレスデン・シュターツカペレと録音する際、ソリストに迎えたのが当時既に東ドイツを離れていたクレメントであった。亡命者が東ドイツでの録音に参加した非常に珍しい、故に彼の実力のほどを物語るエピソードである。ケンペ(彼のプロ音楽家としてのキャリア・スタートは、ゲヴァントハウス管弦楽団の首席オーボエ奏者としてであった!)は、当時ミュンヘン・フィルの首席指揮者を務めていたので、彼もまたクレメンスの実演に触れ、どうしてもシュトラウスの協奏曲に起用したかったのであろう。


 

 

 

 

 

 

 

 

何度も脱線して申し訳ないが、バッハ、アンスバッハ、ミュンヘン、ライトナー、リヒター、ライプツィヒ・・・、これだけのキーワードでこんなに多くものアーティストが絡んでくるのは、本当に面白いことと皆様思われないだろうか?


クルト・カルムスのことに戻る。
カルムスの名前を、バッハのカンタータ録音ディスコグラフィから探すとこんな2枚のLP(10インチ)がヒットする。

 

 

 

 

 

 

 

         

                                  

 

 

 

 

 

 

フリッツ・レーマンの稿でも触れたが、リヒターが1958年にARCHIVと契約する以前、DECCAにレコーディングしたカンタータが何曲かある。1956年9月3日と4日、その最初のセッションで録音されたのが『主を頌めまつれ、勢威強き栄光の主を』BWV137と『目覚めよ、と われらに呼ばわる物見らの声』BWV140の2曲である。
クレジットに目を落すと、こうなる。

いずれにもクルト・カルムスの名前を見ることができる。
そしてオーケストラはミュンヘン・バッハ管弦楽団ではなく、バイエルン国立歌劇場管弦楽団だ。
ミュンヘン・バッハ管弦楽団は既に結成されているのに、オケは歌劇場管弦楽団、そしてオーボエ・ソロはバイエルン放送響の首席オーボエ・・・?これはもうカオスである。

つまり、事の真相はこういうことだったのではなかろうか?

当時リヒター周辺では「どこのオーケストラの誰それだから」といったことはあまり意味を成さず、とにかくリヒターを軸にみんなで「ミュンヘンでの新しいバッハ演奏様式」を作り上げようとしていた、と。

アンスバッハ・バッハ週間管弦楽団も、少なくともリヒターが芸術監督を務めていた時代、その実態は3つのオーケストラのメンバー、つまりバッハ・ミュンヘン管弦楽団とほぼ同じメンバーだったのではないだろうか?
ミュンヘンからアンスバッハは列車で2時間弱の距離だ。


ミュンヘンではリヒターが、ハイルスブロンとプフォルツハイムでフリッツ・ヴェルナーが、そしてシュトゥッツガルトではハンス・グリシュカトが、東西分裂後の西ドイツで、東のライプツィヒとは別の新しいバッハ演奏を目指していたのである。


最後にライトナーのことを。
このBWV1060録音当時36歳のシュトゥッツガルト・オペラの総帥は、やはりフリッツ・レーマン同様、西ドイツの音楽・レコード産業振興に欠かせない、優秀で勤勉な音楽家だった。

そして、ライトナーは戦前の伝統を身につけた指揮者であるにもかかわらず、それから約10数年後、まだまだピリオド奏法や楽器の研究、演奏が道半ばであった1954年、ケルンで結成された古楽器オーケストラ、カペラ・コロニエンシスにも客演を重ねている。ヘンデルのオペラやハイドンの交響曲の録音も残されている。

本当に頭が下がる芸術家である。

なお、蛇足ではあるが、ライトナーがシュトゥッツガルト・オペラ音楽監督時代、その下で第一指揮者(カペルマイスター)を務めていたのが、若き日のカルロス・クライバーである。

 

フェルディナント・ライトナー/シュトゥッツガルト・オペラ

(ヴュルテンブルク州立歌劇場)監督時代のアーカイブ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


R.シュトラウス『薔薇の騎士』抜粋

 

 

 

 

 

 

 

 


ワーグナー『ワルキューレ』第一幕、『パルジファル』抜粋

 

 

 

 

 

 

 

 


プッチーニ『蝶々夫人』(ドイツ語歌唱)

 

 

 

 

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