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ドイツ・グラモフォン(DG)の古楽部門アルヒーフ(ARCHIV)がリリースしたバッハ の管弦楽組曲と言えば、多くの方がカール・リヒター がミュンヘン・バッハ 管弦楽団を指揮して、1960年から61年にかけてレコーディングしたLPを思い浮かべるであろう。ピリオド奏法、楽器でバッハを演奏することが当たり前の現代にあっても、この先もその音楽的価値を失うことはないであろう名盤だ。
しかし、ARCHIVがバッハの管弦楽組曲を録音したのはリヒター盤が最初でない。
今回お届けする【ターンテーブル動画】はリヒターから遡ること11年以上前、1949年7月22日にセッション録音されたフリッツ・リーガーが指揮するアンスバッハ・バッハ週間管弦楽団による『第3番 ニ長調 BWV1068』である(この録音は1950年に78rpmでリリースされ、その後、54年にレコーディングされたグスタフ・シェック(フルートと指揮)による『管弦楽組曲第2番』とカップリングされLP化された)。
「アンスバッハ・バッハ週間」については、フェルディナント・ライトナーのバッハに触れた際にご紹介した。おさらいをしておくと「アンスバッハ・バッハ週間」は、1948年から現在まで、バイエルン州の都市アンスバッハにおいて、バッハの命日である7月28日前後に開催されている音楽祭であり、ライトナーはその初期において音楽祭の中心的役割を果たした(その後、芸術監督に就任したのがカール・リヒター)。バッハ週間の際にセッション録音されたライトナーのレコードには、48年の『ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲』と翌49年の『マニフィカト』があるというお話もした。
『マニフィカト』のレコーディングは7月25日および28日に行われているので、リーガーはその3日前に同じメンバーを相手にレコーディングを行ったことになる。録音会場もノイエンデッテルザウという町のアウグスターナ大学で共通する。
指揮者フリッツ・リーガー(1910 – 1978)は、プラハのオペラハウスを皮切りに指揮者として活動し始め、1941年からブレーメン、47年からはマンハイムでオペラハウスの音楽監督として活躍、49年、まさにこの『管弦楽組曲第3番』をアンスバッハで録音した年に、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任した。ミュンヘン・フィルでのリーガーの後任が、偶然にも同い年のルドルフ・ケンペということになる。
実は1972年、ミュンヘン・フィルの初来日公演にあたり、当然オケを率いるのはケンペのはずだったが、体調がすぐれないケンペに代わり、当時チェコ・フィルの常任だったヴァーツラフ・ノイマンに白羽の矢が立ち、来日公演の告知物、プログラムなどにもノイマンが紹介されていた。しかし、結果的にチェコスロヴァキア政府から西側への出国許可がノイマンに下りず、来日直前で前任のリーガーの同行が発表される、というハプニングがあった(この一件についてはこちらのサイトに丁寧に紹介されている)。
ケンペは1968年にヨーゼフ・カイルベルトが亡くなった後は、カラヤンに次ぐドイツを代表する指揮者として日本でもその活躍に注目が集まっていた。そしてミュンヘン・フィル来日の約9ヶ月後、ミュンヘン・オリンピック開催中、パレスチナ武装組織「黒い九月」によるテロ事件の犠牲者追悼集会が行なわれた際、ケンペはミュンヘン・フィルと共にベートーヴェンの『英雄』第2楽章を演奏し、その映像が世界に中継された。
そんなケンペが日本の地を踏むことなく、その4年後に亡くなったことは音楽界にとって大きな痛手だったと言えるだろう。
いつの間にか話がケンペにすり替わってしまったが、そうなってしまうほど少なくともこの日本におけるリーガーの存在感は薄い。しかし、1959年バイエルン功労賞、66年にはミュンヘン市から名誉金メダル、そして76年には西ドイツ功労十字大勲章をリーガーは受けており、ミュンヘン、バイエルン州においては高く評価されていた指揮者と思われる。
ドイツはそれこそ神聖ローマ帝国時代から各都市の自治権が確立されていた連邦分権国家で、文化においてもその土地固有の(=限定的な)ものが醸成される傾向が強い。ましてやミュンヘンはベルリンなどと比較すれば明らかに「農民気質」「おらが町精神」が強いコンサバティヴな土地柄、「偉大なる田舎」だ。だから未だに多くのミュンヘン市民が、ハンス・クナッパーツブッシュに誇りと愛着を感じているのだ。
リーガーの音楽もまさに保守的なもので、その良し悪しは聴く人によって、そして時代によって大きく評価が分かれるものだろう。
なお、リーガーは自ら進んで申請し、1940年7月1日にNSDAP(国家社会主義労働者党)の党員に登録された(登録番号8.417.679)。
フリッツ・レーマンについての稿に「1940年代末から50年代のLP初期時代、DGには“レパートリー拡充班”という名の2軍指揮者たちが存在し、その代表格がレーマンとライトナー」と書かせていただいたが、リーガーはその2人に次ぐ存在だったと言えるだろう。手許にリーガーとミュンヘン・フィルによるメンデルスゾーンの『イタリア』とドヴォルザークの『スラヴ舞曲』の10inchがあった。
さて、そんなフリッツ・リーガーによる『管弦楽組曲第3番』。想像通り戦前から戦後にかけてはオーソドックスだった重厚、そして確実な足取りで進む伝統的ドイツ音楽、といった趣きで、『アリア』もピリオド系のような軽やかさはなく、(クレンペラーとまではいかないまでも)内へ、そしてとにかく重心を下げることに専心したような慎重さがある。
いつも申し上げることだが、美術や文学とは異なり、音楽は作曲者が記した楽譜のままでは芸術としては存在せず、演奏されることによってはじめて生命を授かる「再現芸術」である。だから、それが演奏される時代の背景、空気、表現潮流、演奏家が拠り所とする精神やイデオロギーによってその様相は違ったものになるのであり、その違いを愛でるのが音楽受容の一大特徴だ。
さて、皆様はフリッツ・リーガーのバッハをどうお聴きになるだろうか?
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