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3月29日に志村けんさんが新型コロナ・ウイルス肺炎で亡くなった、というニュースを知った時、やはり『8時だョ!全員集合』のことをいろいろと思い出した。
世代的に私は『オレたちひょうきん族』ではなく、やはり『8時だョ!全員集合』で育ったのだ。
以前テレビで『8時だョ!全員集合』の証言番組みたいなものを観たことがある。その中には、基本的に毎週生放送されていた番組のメイン・コンテンツである前半のコント芝居1本が、どうのようなスケジュールを経て放送されるのか?を紹介する内容が含まれていた。
ステージいっぱいの大掛かりなセット(家一軒だったり、学校の教室だったり、探検先だったり・・・)で、展開されるコント芝居の台本がいつ出来て、それから打ち合わせをして、稽古に入り、土曜日の生放送を迎えるか?仔細は忘れてしまったが、そんな内容だった。毎週毎週あの大規模なコント芝居をザ・ドリフターズのメンバーやスタッフがどう準備し、間に合わせるのか?しかも失敗の許されない生放送で演じるために・・・。それは驚きとメンバーやスタッフへの畏敬の念を抱かせるのに十分な「仕事」だと思った。
さて、私がバッハの教会カンタータに興味を持ち、一生をかけて付き合っていく音楽だと思い、聴き、書物を読み始めた頃、『8時だョ!全員集合』のことを思い出した。
バッハは1723年のシーズンにケーテンからライプツィヒに移り、トーマス・カントルに就任し、この町の音楽総責任者となった。主な職務であり、そして教会音楽を必要としないケーテンの宮廷では不可能な、そして追求したかったカンタータや受難曲、オラトリオの作曲にバッハは没入することになる(特に1724年と1725年の2シーズン)。
毎日曜日の礼拝のために、新作の教会カンタータの歌詞を作家に書いてもらい、作曲し楽譜を書き、それを妻や弟子も加わってスコアとして写譜し、合唱団の少年や楽団に稽古をし、上演するという「ルーティン」をこなしていくことになるわけだが、これは相当”タフ”な仕事だったに違いない。しかも、1723年から26年にライプツィヒで作曲され、現存している120数曲の教会カンタータに「捨て曲」はなく、「手抜き仕事」「やっつけ仕事」はない(他の作品からの転用、引用はあったが・・・)。
そう、これはドリフターズとスタッフが『全員集合』であのコント芝居を毎週毎週放送して、視聴者を楽しませることと全く同じことなのではないか!と。
もちろん、毎週毎週のことだから予定通りにいかなかったり、完璧主義者で“信条の塊”みたいなバッハが、その出来に常に満足していたわけではないことは想像に難くない。でも、それはドリフも同じこと。最後に予定通りに家が潰れなかったり、仕掛けが作動しなかったり、逆に思った以上に過剰な現象が起こり、危険と隣り合わせだったり、と生放送だからこそのアクシデントがつきものだったから、『全員集合』は面白かったのだ。
今を生きる我々は様々なメディアで一流の演奏家による約200曲を、家に居ながらにして何タイプも聴くことができる。でもその一方で、日本各地に点在する数多いアマチュア・バッハ声楽グループの演奏会にも行ってみたくなる。上手下手だけではない。生の、心の籠った、鍛錬した結果のカンタータ演奏に心惹かれるからだ。
やはり『バッハの1723年~1726年』と『8時だョ!全員集合』は共通する。
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