【ターンテーブル動画】F.プロハスカによる カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ 『マニフィカト』

YouTubeチャンネルに【ターンテーブル】動画をアップしましたので、一部内容を改め、記事を再アップしました。

 

以前から手に入れたいと思っていたカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの大作『マニフィカト ニ長調 Wq215』のあるレコードが我が家にやってきた。フェリックス・プロハスカ(1912年~1987年)がウィーン・アカデミー合唱団とウィーン国立歌劇場管弦楽団を指揮し、ソリストにドレテア・シーベルト(ソプラノ)、 ヒルデ・レッセル=マイダン(アルト)、ヴァルデマール・クメント(テノール)、ハンス・ブラウン(バス)を迎え、アメリカのレーベル、ヴァンガードによって1950年代中頃に録音されたレコードだ。

 

 

Vanguard  The Bach Guild    BG-552

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バッハのカンタータがお好きな方ならご存知の方も多いと思うが、ヴァンガードは「ザ・バッハ・ギルド」というシリーズを立ち上げ、1950年代初頭からバッハの宗教声楽曲を中心に、主にウィーンでレコーディング・プロジェクトを遂行した。その中心にいたのがウィーン国立歌劇場で活動していた生粋のウィーンっ子、フェリックス・プロハスカ、というわけだ。彼はヴァンガードに数多くのカンタータ、そして「復活祭オラトリオ」などをレコーディンしている。
同じ頃、やはりアメリカのレーベル、ウエストミンスターもウィーンに進出し、同じようにバッハのカンタータをレコーディングした。指揮は言うまでもなくへルムート・シェルヘンだ。シェルヘンは今では「鬼才」などと言われ、アーノンクールと比較して語られることもあり、彼がレコーディングしたバッハのカンタータや『マタイ受難曲』(ヴァイオリン・ソロはヴァルター・バリリ!)や『ミサ曲  ロ短調』が、中古レコード市場でも結構な価格で取り引されていて、今でも人気が高い指揮者だ。
一方、プロハスカはあまり人気がなく、彼のカンタータのレコードは1,000円でおつりがくる値段で売られていることが多い。シェルヘンの、学究性とエッジの効いた音作りを兼ね備えた玄人好みの演奏と比較して、プロハスカの音楽は穏やかで「ウィーン風」という言葉で片付けられてしまっても不思議ではない。ウィーン国立歌劇場のレギュラー指揮者であったプロハスカのことだから、どんな作品でも手堅くまとめ、そつなく仕上げることは当たり前のことだったに違いない。しかし果たしてそれを「没個性」と呼んでしまっていいのだろうか?同じく当時の国立歌劇場のレギュラー・メンバーであった歌手たちと作り上げるバッハのカンタータは、「ウィーンの日常」を映し出した生活感あるバッハではなかったのだろうか?

ほぼ時を同じくして、ベルリンではフリッツ・レーマンとカール・リステンパルトが「ベルリンのバッハのカンタータ」を演奏、録音していた。敗戦国であるナチス・ドイツの首都とその属国であったオーストリアの首都、まだ復興もままならない2つの町で演奏され、録音され放送されたり、レコードとなったバッハのカンタータを心の拠り所として聴く市民・・・。それを考え、想起しただけで、これらの音楽には真摯に向き合わなければいけない、と背筋が伸びるのである。

そんな時代のプロハスカが残したカール・フィリップ・エマヌエルの『マニフィカト』。大バッハの次男で息子たちの中では最も世間的成功を収め、おそらく生前は父親より知名度も高かったであろう彼は、この作品を父が亡くなる前年の1749年、自ら父の後継としてトーマス教会のカントルになることを祈願して書き上げたと言われている。父の影響を色濃く受けながらも、「多感様式」とか「疾風怒濤」と呼ばれる彼の特徴も発揮された渾身の一作だが、このCD時代になってもその音源の数は寂しい限りである(しかし、H.リリングH.ヘンヒェンH.マックス、そしてH.=C.ラーデマン、と現役盤はいずれも立派な演奏で、どれを買っても間違いなし!因みに「さわり」をお聴きになりたければこちらを)。
おそらく、プロハスカのレコードがこの曲の世界初録音盤だと思われるが、父のカンタータ録音と同じく、気の知れたウィーンの仲間と作り上げた繊細、温和でありながらもスケールの大きい演奏は、時代を超えた説得力がある。特に後半のテノールとアルトによる二重唱、アルトのアリア、そして終曲合唱と続く一連の流れは、まさに「多感様式」であり「疾風怒濤」。聴く者の心にグサッと杭を打ち込んで、時間をかけながらじっくりと最後に向かって音の壁を積み上げていくような巨大な構造物、大伽藍の様相を示す。
今回はこの3曲の【ターンテーブル動画】をアップ。

 

ドロテア・シーベルト

ヒルデ・レッセル=マイダン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴァルデマール・クメント

ハンス・ブラウン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元々の曲がそのような作りだから、ということもあるのだろう。しかしながら、先に挙げた現役盤に増して、カール・フィリップ・エマヌエルの音楽性をプロハスカのレコードでより一層味わうことができるのは、何とも幸せなことだ。

 

フェリック・プロハスカ

 

【プレーヤー】
Techinics SL-1200Mk4(78rpm対応機種)
【カートリッジ】
audio-techinica VM610MONO
【フォノ・イコライザー】
合研LAB GK05 monoSP(各種イコライザー・カーブが簡単に設定できるモノ盤とSP盤に特化したイコライザー。コスパ最高!)

バッハ声楽作品の新着レコード、CDご紹介!

 

 

主に声楽作品以外のバッハの名盤、珍盤、モノラル盤、SP盤(78rpm)のターンテーブル動画を配信していきます!

 

追記

なお余談だが、戦後のウィーンでアメリカの大小(ヴァンガードやウエストミンスターは「小」!)がウィーンに進出してきたのは、オーストリア・シリングの通貨価値が下落したことと関係がある。
ウィーンで活動していた綺羅星のごとき演奏家のレコーディングを、ドル高シリング安の状況下で数多く行い、結果、それが決して楽な生活を送っていなかったウィーンの演奏家の外貨獲得となり、彼らを経済的に支えた。一方、そのレコードがアメリカの音楽ファン、そして日本にも届けられ音楽ファンに愛好され、レコード会社は収益を上げる・・・。そんなWIN-WIN-WINの関係が成り立っていたわけである。
バッハではなく、ハイドンの交響曲の話ではあるが、当時のウィーンでどのように数多くレコーディングされたのかを詳細に記した、単なる宣伝文としてはあまりにもったいないと思える文献的価値を伴った記事がある。
プロハスカと同時期にやはり国立歌劇場のレギュラー指揮者であったエルンスト・メルツェンドルファーを起用し、アメリカの会員制レーベル、「ミュージカル・ヘリテージ・ソサイエティ」がハイドン交響曲全集を世界初完成させた(デッカとA.ドラティではないのですよ!)ことに関連した、とても詳細で貴重なデータが満載されたテキストである。

ハイドンで行われていたことは、そのままバッハにも当てはまることなので、ご興味があれば是非!

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