『悲愴』の『悲劇』

先日、会社のある人から2月9日(日)にアクトシティ浜松中ホールで行われた静岡交響楽団(静響)第92回定期演奏会 <浜松公演>でのあるアクシデントの話を聞きました。
この日のメイン・プログラムは、チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』だったとのこと。

日本には元来、チャイコフスキー好きのクラシック音楽ファンが多く、作曲家の人気投票を行ったらバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンと互角の勝負ができる、いや、ひょっとしたら第1位になってもおかしくはないと思います。美しく感傷的でメランコリックなメロディー、弦楽器の奏でる艶のある音色と金管楽器の華麗でマッシヴな音色との絶妙なマッチング、曲の起伏の幅の広さ、などなど、チャイコフスキーの作品は、こちらから「聴きに行こう!」と意気込まなくても、勝手に人間の感情の襞(ひだ)に入り込んでくれて、気持ちをよくしてくれる「ご馳走的ハレの音楽」と言っていいような気がします。『白鳥の湖』『くるみ割り人形』『1812年』『ピアノ協奏曲第1番』『ヴァイオリン協奏曲』などなど、彼の代表曲に共通する特徴です。

『悲愴交響曲』もそんな作品のひとつ、というより、その「究極の姿」と言ってよいでしょう。この作品は1893年10月、チャイコフスキーの生涯最後に初演された彼の代表曲で、チャイコフスキーは初演のわずか9日後、コレラ及び肺水腫が原因で急死しています。
チャイコフスキー自身が名付けた『悲愴』という意味ありげな副題のこともあり、作曲当時の彼の健康状況や精神状態とこの曲を結び付けるような研究も多いですが、今日はそれが本題ではないので、先を急ぎます。

18世紀の終わり四半世紀から19世紀にかけて作曲された交響曲の多くが4楽章制を取っています。その礎を築いたのがモーツァルトと共に「ウィーン古典派」を代表する作曲家で、「交響曲の父」と呼ばれているハイドンです。交響曲に限らずこの100年ちょっとの間に作曲された音楽のひとつの特徴が、「受け継がれた形式の遵守」と「その形式からの離脱」のバランス感覚にあった、と言ってよいと思います。このバランスを高次元なレベルで保ったのがベートーヴェンで、彼の音楽がひとつの見本になり、これ以降「ロマン派」と呼ばれる作曲家(シューベルト、ベルリオーズ、シューマン、ショパン、リスト、メンデルスゾーン、ブラームスなど)と「国民楽派」と呼ばれる作曲家(チャイコフスキー、ドヴォルザーク、シベリウスなど)たちは、時代が進むにつれて「形式からの離脱」をより積極的に行い、「ロマン=個人の感性をより自由に放つこと」を追い求めることになっていくのです。

チャイコフスキーの『悲愴』は、19世紀も終わろうとしていた頃に登場した正に「ロマン的交響曲の最終決定版」的作品です。
先程触れたように交響曲の基本は4楽章形式で、オーソドックスな楽章(テンポ)構成は、「第1楽章:急(その前に緩やか序奏がつく場合もある。『悲愴』もそう。)−第2楽章:緩−第3楽章:舞曲的(3拍子系)楽曲−第4楽章:急」です。
ところが『悲愴』は「第1楽章:序奏付きの早いテンポの曲−第2楽章:混合拍子のワルツ(舞曲)−第3楽章:行進曲風でこの曲の中で最も派手で盛り上がる楽章−第4楽章:一転して『悲愴』という副題のイメージに最も近い、スローで悲しく憂鬱、最後は消え入るように終わる曲」という楽章構成なのです。交響曲の最終楽章がこのように終わる例は、有名な作品ではこの『悲愴』と「交響曲という文化が終焉を迎えたことの象徴」と言われるマーラーの第9番(1909年)の2曲しかないのです。

さて、冒頭に触れた静響定演でのアクシデントは、正に『悲愴』のこの楽章構成が引き金になっているのです。

文章だけだと分かりにくいので、こちらの動画を見ていただくとよいと思います。スタートから38分00秒あたりまでカーソルを持っていってください。丁度第3楽章のクライマックス、この曲中、音量がマックスになる部分です。その第3楽章が終わると指揮者はタクトを降ろさずそのまま構え、ポーズを置かずに第4楽章に入ろうとしている様子がよく分かります。そして悲痛な第4楽章のテーマが流れ始めます。このように楽章と楽章の間を空けずにほぼ続けて演奏することを、音楽用語では「アタッカ」と言います。そして『悲愴』を取り上げる指揮者の多くは、第4楽章をアタッカで始めます。何故なら、そうすることによって第3楽章と第4楽章のコントラスト(明/暗)がより明確になり、演奏効果が上がるからです。

ところがです。静響の定演では第3楽章が終わった後に会場から盛大な拍手が巻き起こり、「ブラボー」の掛け声すら上がったというのです。この大音量で盛大に終わる第3楽章を終楽章だと思い込んだ聴衆が少なからずいて、更にそれにつられて拍手の輪に加わってしまった人がいた、というあたりがことの真実でしょう。指揮者の高関健氏がアタッカで終楽章に入ろうとしていたかどうかは、現場にいなかったので定かではありませんが、いずれにしても氏や楽団員、そして『悲愴』がどのような曲なのかを知っている聴衆の「勘弁しておくれよ・・・。」という声が聞こえてきそうです。

この現象は決してこの時だけに起こった特別なことではありません。もちろん、在京プロ・オーケストラの定演や海外有名オーケストラの来日公演で『悲愴』が演奏されても、この現象が起きることはまずないでしょう。何故なら『悲愴』の特徴や演奏のされ方を知っていて集った人たちがほとんどだからです。海外オケの来日公演に数万円を払う人が、『悲愴』のことを知らない、ということはほぼ考えられません。
この現象が起こるのは、『悲愴』を聴いたことがないようなクラシック・ビギナーが多く集まるアマチュア・オーケストラの、安価に入場できるコンサートだったりするのです。
実は以前、私は浜松交響楽団(浜響)の定演で全く同じ現象を目の当たりにしたことがあります。
K-mixでは毎年2回行われる浜響定演を収録して放送しています。私は収録ディレクターとしてエンジニアと共に収録室に入って録音作業をしています。
ある定演で『悲愴』が演奏された時、やはり第3楽章が終わると、派手に拍手が鳴りました。聴衆のひとりとしてアクトシティ浜松大ホールにいたのであれば、それこそ「勘弁しておくれよ・・・。」で済む話ですが、番組制作者の身としては曲の正しい伝え方として、この拍手を編集でカットし、さもアタッカで終楽章が始まったかのように体裁を整えて放送したいと思って当然です。しかし、最悪なことに聴衆の拍手はフライング気味に第3楽章最後の「ダ・ダ・ダ・ダン!!」の響きに被ってしまっていて、編集すらできません。仕方なく、間抜けにしか聴こえないこの拍手をそのままにして放送しました。
この話にはオチがあって、浜響の運営サイドもこの最悪の事態を事前に想定していたのか、プログラムに「『悲愴』の第3楽章は華やかに終わりますが、指揮者の意向ですぐに第4楽章に入るので、くれぐれも間違えて拍手はされませんように。」とご丁寧に注意書きがされていたのです。素晴らしい配慮だと思いました。でも、そう上手く事が運ぶことはなかったのです。
誤解を恐れず敢えて言わせていただきます。「この定演に集った聴衆の音楽鑑賞レベルはこんなに低いんだ。」と思いました。そのオーケストラがプロであろうとアマチュアであろうと、演奏されるのは『悲愴』です。上手い下手に関係なく、この曲を聴く上での最低限のマナーを、聴衆の全てがシェアしなくてはいけません。
そもそも「クラシック、オーケストラを気軽に楽しもう!」などの謳い文句をよく見かけますが、それはそういった趣旨で行われるファミリー・コンサートや学校訪問演奏など、楽団のアウトリーチ活動での話です。「定期演奏会」という、そのオーケストラにとっての一定期間における活動の集大成を披露する場が、「気軽」であってはいけないと思います。
クラッシック音楽を楽しむ際、マナーは他の音楽ジャンル以上に重要なファクターだと思います。「歌舞伎座公演や国立劇場での浄瑠璃公演を気軽に楽しもう!」などと言う人がいないのと同じ理屈です。そのマナーを堅苦しいものと思った時点で、本当の意味でのクラシック音楽に触れることは、それを苦にせず守る聴衆のためにも断念すべきだと思います。日本にはその習慣がほとんどありませんが、ドレス・コードも同じことで「周りの人を不快にさせないため」にあるのです。バミューダ・パンツとサンダルでコンサートホールに入ってはいけないのです。

在京のプロ・オーケストラの定期演奏会のプログラムには、楽団によって多少の違いはあれ、鑑賞マナーについて書かれた箇所が必ずあります。
例えば、最近の私が結果的に一番を足を向けている読売日本交響楽団のプログラムではこんな感じです。

●写真撮影・録画・録音はお断りします。

●携帯電話の電源、時計のアラームはお切りください。補聴器はしっかり装着してください。キーホルダーの鈴やアメの包み紙の音などにもご注意ください。

●演奏中にプログラムをご覧になる際は、ページをめくる音にご配慮ください。チラシなどは膝上ではなく、足元に置いておくことをお勧めします。

●咳やくしゃみはハンカチでお口元を押さえてくださるようお願いいたします。また、体を大きく動かすと他のお客様のご迷惑、鑑賞の妨げになりますのでご遠慮ください。

●「ブラボー」や拍手はタクトが降ろされてから。消えゆく余韻は生演奏の醍醐味です。その貴重な時間を、是非ご堪能ください。

完璧な文章です。しかし、ここに書かれているような迷惑行為をする人は、それでもなお自分の近くの席に座っている、なんていうことがあるのです。

こうしたマナー向上の啓蒙はクラシック演奏団体、特にその地区で最も影響力、集客力のあるアマチュア団体が取り組むべき重要な使命だと私は思います。
ここ浜松でその役目を担うのは、間違いなく浜松交響楽団です。従って私は楽団運営幹部に「在京プロ・オケがそうしているように、鑑賞マナーについて定演のプログラムに記載するべき。」とお話ししたことがありました。しかし「我々のようなアマチュア団体が偉そうに口にすべきことだとは思っていない云々・・・。」というのがその返答でした。

「分かっていらっしゃらないな。」というのが私の率直な感想です。

名ばかりの「音楽の街・浜松」では困ります。

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