「2006年4月4日〜5日」、そして「2007年7月20日〜22日」 忘れ得ぬ日々

前回のブログで書かせていただいたように、2006年4月4日(火)kainatsu(当時、甲斐名都)さんの初ワンマン・ライブがありました。場所は東京・下北沢のライブバー440。名前の通りここはライブハウスというよりは、「ライブもできるカフェバー」という趣きで、昼間もカフェ営業をしていて、キャパも着席で100人にも満たない、とても居心地のいい空間です。
下北沢という場所はご存知の通り、80年代終わりから90年代にかけての空前のバンド・ブームで賑わった街で、夕方この界隈を彷徨いていれば、知り合いのバンドマンやレコード・メーカーの新人開発セクションの担当者 に出くわすというのが常でした。
そんな下北沢はなっちゃんの育った街で、言うまでもなく『下北沢南口』の舞台でもあります。

なっちゃんの初ラジオ・レギュラー番組「甲斐名都  よりみちroom」の記念すべき初回放送日の翌日でもあった、まだ夜になると少し肌寒い4月初めの夜、440はとても温かい空気で満たされていたことを今でもよく覚えています。当時のなっちゃんのサウンド・プロデューサーで、キーボーディスト兼バンマスの皆川真人氏を中心としたメンバーとともに、それまでにリリースされていた2枚のインディーズ・ミニ・アルバムを中心とした曲の数々が、2週間前に大学を卒業したばかりの “今でしかあり得ない”甲斐名都によって表現されていく様は、何かドキュメント・フィルムを観ているような気分にさせてくれたものでした。そして、その場面に立ち会えたことはとても幸せなことのように思えました。

言い忘れましたが、このkainatsu初ワンマン・ライブは「幸せの日」と命名されています。4月4日、「4(し)と4(し)が合わさって、「し・あわせ」。

ライブが終わり、その余韻に浸り一段落した後、翌日は早起きをしなくてはいけないこともあり、名残惜しくはありましたが、440を後にしました。なっちゃんと別れ際に握手した時、「久保田さん、手が冷たい。」と言われながら・・・。
小田急線に乗って新宿に出て、歌舞伎町の少しばかり怪しげなホテルにチェックインし、翌4月5日は6時に起床して浜松へ戻りました。

この日はある曲のリリース日で、そのキャンペーンを、そのアーティストとともに丸一日かけて、浜松、静岡で行うことになっていたのです。

『冷凍みかん』。GTPが放った、あの曲です。

大倉沙斗子(ぴーちゃん/ボーカル、ギター)、神瑞穂(じんちゃん/ベース、ボーカル)、守谷瞳(ひーちゃん/ドラム、ボーカル)の3人組、GTP。彼女たちとの出会いもなっちゃんとの出会いとともに今でも鮮明に記憶に残っています。

 

2005年の年明け早々、懇意にしていたレコード・メーカーの宣伝マンG氏から、ある相談を持ちかけられました。「静岡県出身のメンバーがいる3人組のガールズ・バンドなんだけれど、デビューしたものの、これからどう活動させていったらよいか、正直悩んでいる。もしよければ一度3人と会ってもらえないか?」というのです。メジャー・レーベルとしてはかなりいい加減な物言いです。さらにGTPのデビュー曲はこのメーカーの大看板、吉田拓郎さんの『春だったね』のカバー。オリジナルがあるのにカバー曲でデビューさせられた、という事実を見ても、メーカーとしてGTPに力が入っていたとは言い難い状況でした。
しかし、このG氏からは以前にも2回、「静岡県出身のアーティストだから」という理由で話を持ちかけられたことがありました。2人とも私と同じ旧清水市出身で、結果、1人はレギュラー番組、1人はヘビーローテーションという形で関係が発展した経緯もあり、今回も取り敢えず本人たちに会って話をしてみよう、と思ったのです。

K-mixにやってきたGTPの3人は、一言で言えば「田舎の純粋無垢な女の子」でした。牧之原市出身のぴーちゃん、青森県出身のじんちゃん、茨城県出身のひーちゃん、本当に“田舎の娘”です。でも、そんな3人は何にでも好奇心旺盛で、初めて会う私に対しても「結婚してるんですか?」「好きな女性のタイプは?」とかズケズケと、でも全く嫌な感じを抱かせずに質問責めにしてくるのです。今思うと、その出会いは京太朗と晴彦とのそれに似ていたかもしれません。一瞬にして心を持っていかれました。

ちょうどその頃、来る4月から月曜から木曜の20時台に、8組のアーティストを起用した番組を編成する計画を立てていた私は、GTPをその一角に据えることを決めました。少し前にこのブログでも触れた「K-MIX 8×8」にです。

「GTPと”ウタをウタう”」というその番組はスタジオで収録するのではなく、全編を公園などのオープン・スペースでロケ収録し、そこで生演奏もしてしまう、というなかなかユニークなスタイルのものでした。番組がスタートして程なく、3人とプロデューサー兼マネージャーのM氏から「だいぶ昔に作った歌だけれど、これまであまり演奏してこなかった曲があり、静岡でレギュラー番組が始まったことを機に、番組やライブで披露していこうと思っている。」と言われた楽曲がありました。

そうです。『冷凍みかん』、その曲です。

ぴーちゃんの実体験を元に書かれたというこの曲は、彼と電車で遠出する日の待ち合わせで、2人で車内で食べようと買っておいた冷凍みかんを、彼が来る前に我慢できずに4つともひとりで食べてしまった、という内容の歌で、サビの「冷凍みかん  冷凍みかん  冷凍みかん  4個入り」という歌詞と覚えやすいメロディーが特徴的な曲でした。しかも、ある一定の年代の静岡県民にとって「冷凍みかん」というワードは、それを食べたという実体験とそのノスタルジーを自然と想起させるパワーを持っているように思えました。
案の定、番組で3人がこの曲を演奏していくにつれて、「あの曲は何だ?」「GTPって誰?」「クセになる」「音源化されているの?」「“冷凍みかん”って、懐かしい」という声がK-mix に数多く届けられるようになりました。まだSNSなどない時代にしては、その伝搬力は大したものだったように思います。

そして、番組スタートから1年が経過した2006年4月5日、『冷凍みかん』はCDリリースされたのです。この日、GTPはまずK-mix浜松本社で番組生出演し、浜松のCDショップにご挨拶に行き、その後静岡市に向かい、当時の新静岡センターにあったサテライト・スタジオ「NOA」の前でアンプラグドでライブ、番組生出演、そしてスポーツ紙の取材と、目まぐるしい一日を過ごしたのでした。

また、『冷凍みかん』は「めざましテレビ」「ブロードキャスター」などの全国ネットのテレビ番組でも取り上げられ、静岡県内だけで1万枚のCDセールスを記録。静岡県は全国シェア3%市場なので、仮に全国ベースで考えれば33万枚のヒットということもできなくはない、ということになります。

冷凍みかんメーカーが目ざとくこれに注目し、全国のスーパーに冷凍みかんコーナーを作り、『冷凍みかん』を流してセールス・プロモーションしたり(この年の全国での冷凍みかんの売り上げは例年の2倍だった、というウソのような本当の話もありました。)、県内の幼稚園や小学校でこの曲に振り付けしたダンス(体操!?)が広まったり、相当な街鳴りも起こりました(因みに、当時小学生だったRitomoさんも踊っていたらしい・・・)。

というわけで、とにかく2006年はGTPと『冷凍みかん』一色の年だった、と言ってもよかったかと思います。営業セクションの担当者たちからの「◯◯(スポンサー)のイベントにGTPを出演させられないか?」という問い合わせはもちろん、例えば地域のお祭りや企業のお祭りに出演して欲しい、という問い合わせを本当にたくさんの方々からいただきました。そういった、たまたま問い合わせ先が分からなかったので、取り敢えずK-mixに連絡してみた、というオファーについては、私からM氏へ連絡して後はお任せする、という流れが通常の形なのですが、M氏はこう言うのです。

「こういうオファーをいただくのも、元はと言えばK-mixで番組を持たせてもらって、『冷凍みかん』をたくさんオンエアしてもらった結果なので、K-mixに連絡の入ったオファーは全てK-mixに受注してもらい、エージェントになってもらって構わない。第一、僕もあの子たち3人も久保田さんを信頼しているので。」

こう言われた時、両親が死んでも泣くことがない私でさえ、涙腺が崩壊しそうになったことを今でも忘れません。私の仕事量は激増しましたが・・・。

 

2年ほど前、そんなM氏、私も大きな信頼を寄せ、尊敬していたM氏の突然の訃報を知らされた時、今度こそ涙腺が崩壊しました。

 

 

 

K-mixも加盟するジャパン・エフエム・ネットワーク(JFN)は、毎年加盟38局が前年度自局で企画、実施した番組、イベント、キャンペーンなどの事績をエントリーし、優秀と認められたものを顕彰する「JFN賞企画部門」という、言わばJFNのコンテンツ・コンテストを実施しています。

2007年、K-mix からは『冷凍みかん』に関連する一連の事象をまとめて、「地域密着販促メディア企画GTP『冷凍みかん』キャンペーン」としてエントリーしました。そしてこれが高く評価されて、K-mixとしては初となる「大賞」を受賞することになったのです(応募があったのは49事績)。

7月20日、表彰式とパーティーが行われ、GTPと私は晴れやかな気持ちで、当時弊社会長であった山口現顧問とともにTOKYO FM ホール のステージに上がりました。(その時の様子はこちら) 因みにこの年はCM統一部門(Jリーグ)でもK-mix 出品作が最優秀賞を獲得、他にも2つ、合計4つの賞をいただくことができ、2007年はK-mix の歴史の中でも忘れられない年となりました。

 

 

富士山をひたすら無言で登る        なっちゃん(右)と私

そして、これも何かの縁だとしか思えないのですが、GTPと喜びを分かち合った翌日、私はスーツではなく登山ウェアに身を包み、「富士山頂局の消印が押された暑中見舞いをリスナーに送る」という「甲斐名都  よりみちroom」の番組企画のため、なっちゃんと富士山頂を目指したのでした。「静岡で番組を持っている以上、富士山に登らなくては!」というなっちゃんの強い意志(!?)に導かれ・・・(そう言えば、少し前の「K-mix LIFE! LIFE! LIFE!」の「今週の独り言」で、なっちゃんがその時の心境をお話ししていましたね)

 

 

 

 

 

「K-mix アーティストと協力して、リスナーに音楽やアーティストを発見してもらい、番組やライブ、イベントに参加する楽しみを実感してもらいたい。」という私の“Life Work”の出発点にもなったkainatsu、そしてGTPという2組のアーティストとの、とても大切な出来事が連続して起こった2006年4月4日〜5日の2日間、そして2007年7月20日〜22日の3日間を、私は一生忘れないでしょう。

 

さて、この5日間に勝るとも劣らない「忘れ得ぬ日々」は、次はいつ、私のもとにに訪れるのでしょうか? いや、私は自らの力と、私と同じ方向を見つめてくれるアーティストとの力によって、それを引き寄せることができるのでしょうか?

 

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