ズービン・メータ/ベルリン・フィルのブルックナー「交響曲第8番」

11月22日(金)、東京・赤坂のサントリーホールで行われたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団日本ツアー2019の最終日公演を聴きに行ってまいりました(上皇ご夫妻も20日の公演をご覧になったとニュース・サイトで取り上げられています)。
K-mixの話題や私を取り巻く放送やそこでの人間関係についてお話しするのがこのブログの目的ではありますが、今回はこのコンサートについてお話しすることをご了解いただければと思います。

 

ベルリン・フィルは「世界最高峰のオーケストラ」と言われる楽団であり、20世紀にはヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤンという時代の頂点に登り詰めた二人の巨匠にとっては、自らの芸術を表現する最重要なオーケストラでした。
そんなベルリン・フィルが今回は現代の巨匠、ズービン・メータと共に来日したのです。

      ズービン・メータ

インド出身のメータはベルリン・フィルの定職に就いたことは一度もありませんが、客演指揮者として度々指揮台に上がり、ベルリン・フィルと数多くのレコーディングを行っており、団員からの信頼も厚いと言われています。
1936年生まれのメータは現在83歳。私がクラシック音楽を積極的に聴き始めた中学生時代、1970年代終わり頃、40代だったメータは1歳年上の小澤征爾、3歳年上の故クラウディオ・アバドとともに(70歳、80歳で現役が当たり前の指揮者の世界では)、最も勢いのある若手と評され、それぞれ数多くのレコードをリリースし、私もこの3人から受けた音楽的感銘は数多かったです。取り上げるレパートリーや音楽性はもちろん少しずつ異なってはいましたが、3人に共通するのは音楽の伝統を継承しつつも、教条的には決して陥らない「音楽の大らかさ」だったと思います。重箱の隅をつつくような表現は決してしなかった、ということです。特にメータの作り出す音楽は幹が太く、適度な肉付きのある豊潤さが特徴で、ヨーロッパ人の音楽家にはないような“色香”があったように思います。

そんなメータの実演を私はこれまで2回聴いた経験があります。いずれも彼が長年深い関係を保ってきたイスラエル・フィルを率いた来日公演で、最初は1983年3月の東京文化会館、もう1回は1988年3月のサントリーホールでの演奏会でした。前者はメータが大変愛好し、得意としていたマーラーの交響曲第5番がメイン、後者は演奏するのに80分以上を要するブルックナーの交響曲第8番1曲のみ、というプログラムでした。
そして、今回私が聴きに行ったベルリン・フィルとのコンサートも、ブルックナーの交響曲第8番1曲のみが演奏されました。

 

     アントン・ブルックナー

アントン・ブルックナー、という作曲家の名前を聞いたことがない方もいらっしゃるかと思いますが、ブルックナーは19世紀後半、ウィーンで活躍したオーストリアの作曲家で、その生涯に習作も含め11曲の交響曲を作曲しました。元々優れた教会オルガン奏者であり、敬虔なカトリック信徒であった彼の作り出す音楽は、皆共通した息の長い旋律、深い響き(和声)に満たされた悠大なもので、それに接すると音楽を聴いている、というより、“自然”と対話している、さらに言ってしまえば“形而上的なもの”(“神”と言ってもいいでしょうか?)との対話、問答をしているような気持ちになる芸術です。
中でも第8番の交響曲は未完に終わった第9番を除けば、彼が生涯に完成した最後、且つ最も偉大な、まるで大伽藍のような音楽構造物で、交響曲の歴史を俯瞰した時、ベートーヴェンの第9番「合唱付き」とともに19世紀を代表する二大重要交響曲と言っていいでしょう(それに次ぐのが、ベートーヴェンの第3番「英雄」とブラームスの第4番、というのが私の見解です)。

私は中学生の頃から根っからのブルックナー・ファンで、今でも在京のオーケストラが定期演奏会でブルックナーの交響曲を取り上げるとなれば、何とかスケジュール調整して足を運ぶようにしています。数えてみれば今年になってからは既に6回、ブルックナーの交響曲を聴きに行っています(実はもう1回、3月に現代最高峰のブルックナー指揮者、エリアフ・インバルが東京都交響楽団を指揮する第8番の演奏会のチケットも取ってあったのですが、どうしても抜けられない仕事が入ったので、そのチケットはつだみさこさんにお譲りし、彼女に堪能していただきました)。

      ザンクト・フローリアン大聖堂に安置された                             ブルックナーの棺

昨年にはそのブルックナー好きが高じ、「ブルックナーの足跡」をテーマに、彼の生まれ故郷であるアンスフェルデンという町(村)、彼が音楽家としてのキャリアをスタートさせ、今も彼が眠るザンクト・フローリアンの修道院、この地方の中心都市であるリンツ、そして彼が苦労をしながらも偉大なキャリアを築き上げたウィーンの彼所縁の場所(史跡)に多数訪れもしました

 


もし、核戦争が勃発し、核シェルターに入ることになり「その中で聴くCDを1曲だけ持参してよい。」と言われれば、私はバッハの「マタイ受難曲」かブルックナーの第5番、第8番のどれか、という究極の選択を迫られることになると思います。

さて、そんなブルックナーの交響曲をズービン・メータがベルリン・フィルを指揮して披露する、となれば、仮にそのチケットが43,000円という高額であったとしても、清水の舞台から飛び降りたつもりで聴きにいかなければならないと思い、なかなかつながらないチケットぴあに30分ほど電話をかけ続け、やっとのことでチケットを手に入れました。ベルリン・フィルを始めとする世界の有名オーケストラの来日公演チケット料金の高さにはいつも驚かされ、ベルリン・フィルであったとしても、本拠地のベルリン・フィルハーモニー・ホールでの定期演奏会であれば、高くても100ユーロ、と愚痴も出るところです。また昔とは異なり、そんな高額なチケットを買わなくても、その5分の1の料金で在京オーケストラの素晴らしい演奏を聴くことが今ではできます。私もそうしています。でも今回はそう言って通り過ぎるわけにはいきませんでした。

丁度1年前の11月、メータはその実力がベルリン・フィルに次ぐドイツのオーケストラとも言われ、これまた深い親交関係にあるバイエルン放送交響楽団の日本ツアーに同行しました。その時の公演を聴きに行った音楽好き仲間によれば、その少し前に行われたがん性腫瘍の摘出手術のため、恰幅がよく雄々しい姿が印象的だったメータの体力は一気に落ち、その日も杖を片手に介助者とともにステージに登場し、やっとのことで指揮台に辿り着き、椅子に座って指揮を執った、ということでした。また先日、一つ年上の小澤征爾がNHKのインタビューで、食道癌の摘出、そしてひどい腰痛で体力が落ち、2時間のコンサートを指揮することができない、と嘆いていました。80代の指揮者にとって、やはり言うことを聞かない体の不具合は大きな悩みの種なのです(一方、私も心から敬愛する御年92歳のヘルベルト・ブロムシュテットが、毎年のように来日し、足取り軽くステージに登場、立ったまま指揮し、颯爽とした指揮ぶりで贅肉がそぎ落とされた音楽をNHK交響楽団から引き出すのを見るにつけ、「菜食主義者である彼の規律正しい生活の賜物か?」と思わずにはいられません)。「もしかしたら今回のベルリン・フィル公演が、83歳のメータにとって最後の来日になるのでは?」という不敬な思いも頭をよぎり、そんな彼があのブルックナーの交響曲第8番を指揮するのであれば、何が何でも出向かなければと思ったのです。

 


開演前、ステージに団員が登場し始め、コンサートマスターの席だけを残し全員が着席した後、コンサートマスターである樫本大進が登場し、大きな拍手が送られます。チューニングが終わり、会場に集まった聴衆全てがメータの登場をじっと待っていると、メータは黒い杖を突きながらトボトボとステージに現れました。しかし、介助者の姿はありません。時間をかけて指揮台に登り、客席側を向くと演奏が終わった後のような盛大な拍手が巻き起こりました。メータがスツールに座り、会場が静まり返ると彼はタクトを構え、静かにそれを下ろし、ブルックナーの交響曲第8番の第一楽章が厳かに始まりました。
私の手元にメータが1970年代に手兵のロスアンジェルス・フィルとレコーディングしたこの曲のレコードがあります。前日、メータのブルックナーを確認するため針を落として少しだけ聴いてみたのですが、それと比較するとこの第一楽章のテンポはかなり遅く感じられました。歳を重ねていけばいくほど指揮者の多くは身体的運動性の低下が原因で、またはその音楽に含まれている様々な要素をより丁寧に明らかにしようとするため、全体的にテンポが遅くなる傾向があります(ブロムシュテットは例外中の例外!!)。メータの指揮もそれに当てはまるのかもしれませんが、例えばブルックナーを得意としたセルジュ・チェリビダッケの超ノロノロ運転がその限度を超え、逆に構築性を失いかけ、ダラダラと聴こえてしまうのとは異なり(そんなチェリビダッケのブルックナーが最高だった、という人もたくさんいます)、テンポは遅くともその遅さを感じさせない根幹の安定性が、彼の作り出すブルックナーにはあると感じました。そして、そのメータの意図を完璧に理解した超絶技巧集団、ベルリン・フィルが放射する音色、“ため”のある響きの素晴らしさ、特に中音域の懐の深さにはため息が出るほどでした。
ベルリン・フィルは世界一のオーケストラであるのと同時に、ウィーン・フィルと並び最もプライドの高いオーケストラであると言ってもいいと思ます。例えば、自分たちが心からリスペクトしない客演指揮者が登場して、その音楽性に共感できないと見るや、指揮者の存在、彼が望む表現を無視し、自分たちで音楽を作り上げてしまう、指揮者にとっては“集団リンチ・オーケストラ”に変貌するのです(以前、佐渡裕が初めてベルリン・フィルの定期演奏会に招かれ、日本中が大騒ぎした時、NHKがそのドキュメントと演奏会の様子を放送していましたが、リハーサルでの楽団員とのやり取りや、団員のインタビューを観て、聴いていると、佐渡も少しばかり集団リンチにあっているような気がしたのは、私だけでしょうか?それを証拠にその後、佐渡は一度もベルリン・フィルの演奏会に呼ばれていません)。
ベルリン・フィルの往年の団員達たちのインタビュー集で「ベートーヴェンの交響曲など、指揮者がいなくても、楽譜を見なくても演奏することなど、我々には容易いことなのですよ。」とか、「皆さんが言うほど、フルトヴェングラーとカラヤンのベートーヴェンに違いはないと思います。両方とも“ベルリン・フィルのベートーヴェン”なのですから。」と笑って話しているのを読んだことがありますが、そんな人たちが100人も集まった恐ろしい集団なのです。だから、樫本大進が率いる“ベルリン・フィルのミニチュア版”とも言うべきベルリン・フィル八重奏団の演奏などを聴くと、自分たちの力で音楽をねじ伏せようとする感がアリアリで、その自信過剰な音楽表現に「勘弁して!」と言いたくなるのも事実です。
しかし、この夜のベルリン・フィルは違いました。ズービン・メータという指揮者が作り出す音楽に心から奉仕をしようとしていることがよくわかりました。これすなわち、ブルックナーの音楽に奉仕することにもなるのです。「奉仕の精神」はブルックナーの交響曲を演奏するにあたって、とても大切な心持ちだと私は考えています。

メータは1954年、18歳のときウィーン音楽大学に入学し、名教師としても知られた指揮者ハンス・スワロフスキーに師事しています(その時一緒に学んでいたのが、アバドでした)。1954年と言えばフルトヴェングラーが亡くなった年です。そしてフルトヴェングラーと同世代の大御所指揮者たちが、ウィーン・フィルの演奏会の客演指揮者としてステージに上がるという「巨匠指揮者時代」、言い換えれば「ウィーン音楽界・奥の院時代」にあたります。その代表格はカール・シューリヒトとハンス・クナッパーツブッシュでしょう。
第二次世界大戦で大きな被害を受けたウィーンには、そんな悲惨な出来事があっても絶やされることのない18世紀以来の音楽の伝統があり、ウィーン・フィル定期演奏会の会員権はそんな町で暮らす音楽愛好者によって今でも家族代々引き継がれているのです(年に10数回しか行われないウィーン・フィル定期演奏会のチケットが、一般人の手に滅多に入らないのはそのためです)。ウィーンはある意味“時が止まった”音楽の都であり、シューリヒトとクナッパーツブッシュはそんなウィーンの音楽ファンから畏敬の念を抱かれた別格の巨匠だったのです。

 

      ハンス・クナッパーツブッシュ

メータが留学時代に音大生の特権で聴いた機会も多かったであろうウィーン・フィルの演奏、特にクナッパーツブッシュの指揮に触れた発言を何かのインタビュー記事で読んだことがあります。「クナッパーツブッシュのハイドンは、普通のテンポの倍の遅さであっても、音楽的に筋が通っているから感動を呼ぶ。」というようなことを言っていました。そのクナッパーツブッシュがワーグナーとともに最も得意としたのがブルックナーです。晩年のクナッパーツブッシュのブルックナーのテンポも大変遅いものでしたが、聴いていて“ダレている”という感覚はありませんでした。メータとベルリン・フィルのブルックナーを聴いていると何だかクナッパーツブッシュのブルックナーを聴いているような(もちろん生で聴いたことはなく、残されたレコードやCDで聴いた限りのことですが)錯覚に陥りました。
かねてから私はもしタイム・スリップできるのであれば、1950年代後半から1960年代初頭のウィーンへ行って、「奥の院」に鎮座していたクナッパーツブッシュやシューリヒトが指揮するウィーン・フィルの演奏会に行ってみたいと思っていましたが、何だかそれが仮想現実になったような気分に満たされました。

     ハンス・リヒター

クナッパーツブッシュは1910年代の若かりし頃、ワーグナーやブルックナー、そしてブラームスとも親交があった大指揮者ハンス・リヒターが指揮するワーグナーの楽劇公演の助手を務めた経験があります。そんな彼が晩年ワーグナーの作品を演奏し終えた後、「今日の演奏には天国のリヒターも満足だったであろう。」と話した、という逸話が残っています。

そして1892年12月18日、ウィーン・フィルの定期演奏会でブルックナーの交響曲第8番を世界初演したのが、ハンス・リヒター、その人なのです。

 

 

巨大な第4楽章が終わり、オーケストラ渾身の最後の一音がホールに響き渡り、その残響がゆっくりと消えていき、しばらく両手を高く上げたままのメータが静かにタクトを下ろすと、もの凄い拍手が巻き起こり、会場はブラボーの嵐と化しました。両手を顔の前で合わせ(これも東洋人故か?)、何度も礼を伝えるメータ。楽員たちも聴衆と一体となり拍手を捧げます。歩いて袖と指揮台を往復するのは辛かろう、と思いつつも拍手を止めない聴衆にメータは何度もステージに呼び戻されます。楽団員が全員ステージを後にしてもその拍手は鳴り止まず、メータは首席フルートのパユ、首席オーボエのマイヤー、首席クラリネットのフックスといったおなじみのメンバーが付き添う中、何度かステージ袖に姿を見せ、最後に手を挙げて観客に応え袖に消えると、やっと拍手は収まりました。


メータが、若かりし頃ムジークフェライン・ザールで聴いたであろうクナッパーツブッシュによるウィーン・フィルのブルックナーを意識していたかどうかは、彼のみぞ知ることです。
そして「今日の演奏には天国のクナッパーツブッシュも、そしてリヒターも満足だったであろう。」と彼が思わなかったとしても、私にはそう思える演奏でした。

ズービン・メータがこれからも健康で、音楽を表現できることを心から祈りたいと思います。

 

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