「小椋佳の歌とともに」

年末に向けての番組やイベントの準備などにかまけて、3週間以上ブログ執筆を怠ってしまいました。
書きたいことが決してないわけではなく、むしろたくさんありすぎて困ってしまうほどなのですが、久しぶりのブログは私が直接制作する数少ない番組、しかも長寿番組となっている、とある番組についてお話しいたしましょう。

「小椋佳の歌とともに」(金 20:00~20:30)です。

番組がスタートしたのは2006年4月なので、今度の4月で丸14年を迎える番組です。
その名の通り、現代の日本を代表するシンガーソングライターである小椋佳さんの楽曲のみをひたすらかけ、途中小椋さん自身のコメントをご紹介するという至ってシンプルな番組です。

多くの方がご存知のように小椋さんは東京大学卒業後、日本勧業銀行(現在のみずほ銀行)に入行し、銀行員生活を行いながら曲作り、レコード制作をするという、とても稀有な存在で、1971年にレコード・デビューしたにもかかわらず、初コンサートは1976年(しかもNHKホール!)という具合で、その作品や歌声が世に知れ渡っていた割には、人前に出ることはほとんどない存在でした。
おそらく多くの日本国民が「小椋佳」という存在を知ったきっかけは、1975年に布施明さんに提供した『シクラメンのかほり』がその年の日本レコード大賞を獲得したことだったのではないかと思います(しかし、この時も受賞セレモニーには小椋さんの姿はなかったように記憶しています)。
小椋さんがアーティストとして前面に出始めたきっかけは、第一勧銀経営陣からのたっての要望だったと、小椋さんから聞いたことがあります。それはそうでしょう。銀行にとっては効果的な宣伝塔になると考えるのは当然でしょうし、一般預金者はもちろん、取引先の大手企業にとってもプラス・イメージとなり、大きなビジネスが成立するのに一役買う可能性は大いにあるはずですから。

そんな小椋さんが第一勧銀の浜松支店長として赴任する、という出来事が起こったのが1991年のことでした。小椋さんは単身赴任し、浜松に2年弱住まわれることになったのです。
これをきっかけに浜松市の依頼で“浜松わたしの歌”として『やら舞歌』を作詞作曲、またうなぎパイの春華堂の当時のメイン・バンクが第一勧銀だったこともあり、小椋さんと春華堂の経営陣は公私を超えて親交を結ぶようになり、その結果出来上がったのが、皆さんよくご存じの春華堂うなぎパイのイメージ・ソング『うなぎのじゅもん』というわけです。

さて、「小椋佳の歌とともに」はどういう経緯でスタートしたのでしょうか?

番組を聴いていただけるとわかるのですが、この番組にはスポンサーの名前が出てきません(提供クレジットがありません)し、番組内でCMも流れません。しかし、この番組はれっきとした春華堂の提供番組です。

この番組はスタート当時、春華堂の専務取締役でこの会社の宣伝広報の陣頭指揮していた大鹿光信氏(故人)の肝入りで企画されました。大鹿専務と私が知り合ったのは、氏がK-mixの番組審議会の委員に就任されたのがきっかけでした。大鹿さんは五輪真弓さんの歌が大好きで、ラジオで音楽はどう紹介されるべきか?ということについて固い信条をお持ちの方でした。審議委員は数年で辞められてしまいましたが、ご自宅が拙宅に近かったこともあり、何かにつけ私を可愛がって下さいました。浜松の歓楽街である千歳通りの高級ナイト・クラブやお寿司屋さんへのお伴をしたことも何回もあります。またお菓子屋さんの経営者であったためか、大鹿さんは人の身なりにもうるさい方で、30代当時の私が長髪で髭を生やしていた頃などは「クボちゃん(専務はいつも私をこう呼んでいました)、その汚い恰好はどうにかならないものか?本当にしようがないな・・・。」と会うたびにブツブツと言う方でした。
そんな大鹿さんはもちろん浜松支店長時代の小椋さんと親しくなり、飲みに行ったりゴルフをする仲でありました。小椋さんの音楽についても「あの人の音楽は聴いていると眠くなる。」などと言っていましたが、おそらく大好きだったのだと思います。それでなければ30分全編、小椋佳の曲しか流さない番組を作らせ、金を出す、とまでは言わないでしょう。

そして、時は来りて私と営業担当は春華堂の大鹿専務の部屋に呼ばれ、大鹿さんの目指す小椋佳の番組のあるべき姿について聞かされました。要約すると以下がそのポイントです。

① 曲は小椋佳の曲しか流さない
② すべての曲をフルコーラスでかけること
③ 曲のイントロやエンディングにナレーションは絶対被せない
④ 曲紹介は曲のかかる前には入れず、必ず曲が終わった後にすること
⑤ 毎週小椋さんのコメントを流すこと
⑥ ナレーションは浜松の放送界、ナレーション界の重鎮、三ッ井康雄さんを起用すること
⑦ 春華堂の提供クレジットやCMは流す必要はない(そんなことをしなくても「うなぎパイ」は売れている!!)
⑧ ただその代わりに、毎回必ず番組のエンディング前に『うなぎのじゅもん』を流すこと

②③④は先程記した「ラジオで音楽はどう紹介されるべきか?」という大鹿さんのポリシーに基づいたことでしょう。大鹿さんは番組審議委員時代から、「最近の番組は平気で曲の上に乗っかってしゃべる。曲への尊敬の念がない。曲を聴きたい人にとっては最悪だ。」と常々言っておられました。また、曲名は曲を聴き終わった後にリスナーが「今の曲は何ていう曲なんだろう?」と思ったところで伝えるのが、聴き手の曲に対する印象がより強くなる、という信念があったのだと思います。
大鹿さんの主張には一理あり、大鹿さんが嫌う最近のラジオの風潮とは正反対を行く番組がK-mixにひとつくらいあっても、それはそれで番組の個性にはなる、と私は思い、大鹿さんの思い通りの番組を作ってみようと、後日パイロット版を作り、大鹿さんのところに持って行きました。きっと大鹿さんは満足してくださるだろうと思って・・・。

しかし、大鹿さんの答えは「NO GOOD」でした。

私は大鹿さんの指示通り、曲が終わった後に曲紹介(曲送り)を入れました。音楽そのものを届けることと同時に、その音楽のプロフィール(情報)を共に伝えることが、ラジオならではの曲紹介だと思っていたので、かけた曲のタイトル以外にも、いつリリースされた曲で、何というアルバムに収録されていて、タイアップがついていれば(実際、小椋さんの曲にはタイアップがついたものがかなりあります)その情報を合わせてナレーションするように制作したのですが、大鹿さん曰く「曲名以外は不要」ということでした。
当時はネットで曲名や曲情報をリスナーが検索する、といった今では当たり前の行動はほとんどなく、ネットに依存しなくても番組を聴いただけでリスナーが納得できる番組こそいい番組、と私は思っていたので、この件については素直に大鹿さんの意見を受け入れることはできませんでした。しかし、大鹿さんはスポンサーの責任者です。その立場にある方に、確固たる信念がない限り逆らうことはできませんでした。

もう一つ、大鹿さんから注文がありました。
小椋佳さんほどの大アーティストであれば、ファンも楽しみにこの番組を聴いて、自分の好きな小椋佳楽曲、何かの思い出と強く結びついている曲をリクエストしたくなるのだろうと思い、番組のエンディングにリクエストを受け付ける旨の告知を入れました。
しかし大鹿さんは「人に選曲をさせる必要はない。クボちゃんがいいと思った曲を、いいと思った順でかければそれでいい。」とおっしゃったのです。これはつまり「自分の選曲に責任を持て!」ということを意味するのだと思い、その通りにすることにしました。

こうしてやっとのことで「小椋佳の歌とともに」はスタートしたのです。
そして大鹿さんが亡くなられてからも、私は大鹿さんの思いは私に託された遺志だと思い、今でもその教え、指示を守り番組制作にあたっています。

番組では大鹿さんの指示通り、毎週必ず小椋さんの数分程度のコメントが流れ、その後に小椋さんが選曲した自作をオンエアしています。
ということで番組スタート以来、私は毎月1回必ず小椋さんのオフィスにお邪魔して、1か月分の小椋さんのコメントを簡易な録音機器で収録し、それを編集して番組に取り入れています。
この番組がスタートするまで小椋さんには1回もお会いしたことはなかったので、時代を代表するシンガーソングライターである小椋さんに会うことは、私に緊張をもたらすだろうと思いつつも、これから毎月1回、必ず小椋さんにお会いできる、というのはそうそう体験できることではない貴重なものだとも思いました。
小椋さんのコメントは私が前月の収録時に小椋さんにお渡しした各回のコメント・フォーマットを参考にして、小椋さんが次回収録時までに準備をする、という流れで収録されます。毎回の小椋さんにお話しいただくテーマは、それが放送される日の「今日は何の日」的なエピソードに絡めたものか、折々の季節にちなんだものを私が選んでいます。もし、そのテーマが小椋さんの気に入らなかったり、興味がないものであれば、小椋さんご自身が別のお話をする、ということもないわけではありません。
小椋さんに初めてお会いした頃からしばらくは、小椋佳という人物がどういった事柄に興味があり、どういった話が得意なのかが当然わからなかったので、私が用意したテーマが取り下げられることも結構ありましたが、次第に小椋さんのパーソナルな部分がわかってき始めると、「この出来事や人物ならば小椋さんは興に乗ってしゃべってくれるだろう」というコツみたいなものを見つけることができ、さらにはこういう話題であれば小椋さんはこんなことを言うだろう、といったことまでなんとなく予想がつき始めたのも事実です。
例えばこれはたいへん意外なことだったのですが、銀行員であった小椋さん、しかも財務サービスの仕事をされていた小椋さんだったら、日本や世界の経済についての話題なら興味深い話が聞けるのではと思い、何回か経済や金融のことをテーマにしたことがあるのですが、その多くはことごとく却下されました。私の記憶が正しければ、小椋さんが経済や金融の話をされたのはこの約14年間、700余回の中でただの2回だけです。
今週初めに1月放送分のコメント収録に伺った際も、2006年1月16日、証券取引法違反容疑で、東京地検特捜部がライブドアに強制捜査を行い、翌17日から始まった株式市場の暴落=「ライブドア・ショック」に絡めてホリエモンについての小椋さんの感想を聞かせて欲しいと思い、そんなテーマを設けてみました。しかし小椋さんはそのコメントで「この暴落のことには個人的には全く興味がないが、普通、逮捕され判決に従い服役した人物が、出所後社会に復帰することは容易ではないけれど、堀江さんは見事に復活している。また彼は宇宙旅行や開発に興味があるようだけれども、人間には『遠くへ行きたい』という本能が備わっているので、旅に出たくなるのだろう。」 という話に見事にすり替わってしまう、ということがあったばかりです。

また小椋さんは安倍首相、トランプアメリカ大統領、文韓国大統領を好んでいない、ということや、相当な夜更かし夜型人間で、夜な夜な夜明け頃まで映画を観たり、様々なスポーツ実況を観たりして、映画やスポーツの造詣が大変深いことなども分かっていきました。
更に憲法改正論議、というより日本国憲法そのものについて確固たる意見を持ち、無神論者(宗教をあてにしない)であること、そして日本という国が大好きであるということも、そのコメントから読み解くことができます。
もちろん、現在75歳の小椋さんに最新のITやAI事情を聞いてみても答えが返ってくるはずはないのですが、小椋さんが生きてこられてきた中で経験し、思い考えたことに触れることは、私個人にとっても物を考えたり、今まで思いもよらなかった視点から世の中を見ることにもなり、大変有意義な時間となっています。

そんな中で、例えばこのブログでもおなじみのSTARMARIEの県内出身メンバーであるのんちゃん(木下望)、(中根)もにゃちゃんが『うなぎのじゅもん』のダンスを様々な場所で踊ったYouTube動画を上げているので、それを小椋さんに見てもらい、感想のコメントを収録してSTARMARIEの番組でオンエアする、という企みを小椋さんに提案したら、喜んで対応してくれました。
同じくRitomoさんの『我が春』を聴いてもらい、小椋さんだったらこの詞の世界観についての思いを私に聞かせてくれるのではないか?とCDをお渡しし、翌月収録に伺った際に聞いてみると「久保田君、売春婦をテーマにした歌は全然珍しくなく、これまで日本の歌謡界で度々取り上げられているから、決して新しいとは言えないな。」と想像とは違ったコメントが飛び出したかと思えば、「彼女をしっかり支える人間がいた方がいいな。それは久保田君か?」と私に提言、質問し、彼女のことを気遣うような言葉をかけてくれたりもするのです。また小椋さんの詞曲(歌手は別の場合も含め)以外かかったことのない「小椋佳の歌とともに」で、唯一1回だけ全く関係のない曲である『我が春』を選曲してくれたこともありました。

というわけで、月1回小椋さんを訪問することは私にとってとても大切な仕事であり、貴重な欠かすことのできないイベントとなっています。

大鹿さんがお亡くなりになられて久しいですが、春華堂からは「小椋さんが『もうやーめた』というまでは番組は続けさせていただく」という、普通のスポンサーでは考えられない言葉までいただいており、小椋さんにはいつまでも健康でいていただき、音楽と言葉を発し続けていただきたい、と心から思っています。

 

最後になりますが、番組を始めた当時、「私が小椋佳というアーティストを認識し、曲を初めて聴いたのはいつだっただろう?」と自問自答して、思い出したことがありました。
私が清水に住んでいた少年時代、毎月通っていた理髪店にはその小さな店、そして理髪店という場所には似つかわしくない巨大なJBLの業務用モニタースピーカーが置かれ、そこからいつもレコードの音が流れていました。そのレコードはいつ行ってもすべて小椋佳のアルバムでした。店主が相当な小椋佳ファンだったのです。JBLというロックを聴くのに相応しいスピーカーから、寂しげな小椋さんの音楽が流れてくることにちょっとした違和感を持ちましたし、10代の少年にそれらの歌は少し背伸びが必要で、歌詞も聴いているだけでは難解に思えましたが、とにかくいつでも小椋さんの音楽が流れていたので、タイトルは分からずとも、そのうち小椋さんの音楽が体に馴染んでいくような気分になったものです。
あの理髪店は今でも営業しているのでしょうか?そして、店主は(仮に引退していても)今でも小椋佳の音楽を聴き続けているのでしょうか?

 

 

 

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